星新一自筆の年譜(1980年まで)を略したうえで、その後のできごとや家族の情報を加筆したものです。
年齢の数字は、その年の誕生日までのものです。
- 1926/大正15年
- 9月6日、東京の本郷に生まれる。
- 1945/昭和20年(18歳)
- 東京帝国大学農学部農芸化学科へ入学。
この年の8月、終戦。校名が東京大学と改称される。
- 1948/昭和23年(21歳)
- 東京大学卒業。
- 1950/昭和25年(23歳)
- 東京大学大学院(旧制)の前期を修了。
- 1951/昭和26年(24歳)
- 父・星一がロサンゼルスで客死(77歳)。その経営する製薬業を引きついだが、経営不振で会社を他人にまかせるまで、悪夢のような数年間をすごす。
- 1957/昭和32年(30歳)
- SF同人誌「宇宙塵」に書いた作品「セキストラ」が江戸川乱歩編集の「宝石」11月号に転載となり、作家として出発。
- 1959/昭和34年(32歳)
- はじめての本『生命のふしぎ』(新潮社)刊行。少年むけ科学解説書。
- 1960/昭和35年(33歳)
- NHKで『宇宙船シリカ』(原案担当)の放送はじまる。(1962年まで227話放送)
- 1961/昭和36年(34歳)
- はじめての短編集『人造美人』(新潮社)刊行。
つづいて『ようこそ地球さん』(新潮社)、『悪魔のいる天国』(中央公論社)を刊行。
村尾香代子と結婚。
- 1962/昭和37年(35歳)
- 長女・ユリカ誕生。
- 1963/昭和38年(36歳)
- アメリカのSF雑誌に「ボッコちゃん」の英訳が掲載された。(日本SFの米誌掲載はこれが最初)
日本SF作家クラブの創設に参加。次女・マリナ誕生。
- 1964/昭和39年(37歳)
- ニューヨークの世界博覧会の見物から、フランス、ベルギー、イタリーへ。はじめての海外旅行。
- 1966/昭和41年(39歳)
- 理論社より童話的SF集『気まぐれロボット』刊行。朝日新聞の連載をまとめたもの。
ロシア語訳「景品」がソ連の新聞に掲載、「冬きたりなば」がソ連の国際短編アンソロジーに収録される。
- 1967/昭和42年(40歳)
- 父について書いた、はじめてのノンフィクション『人民は弱し 官吏は強し』(文藝春秋)を刊行。
- 1968/昭和43年(41歳)
- 前年に出版した『妄想銀行』(新潮社)および過去の業績に対して、第21回日本推理作家協会賞を受賞。
- 1970/昭和45年(43歳)
- 岡本忠成氏による人形アニメーション「花ともぐら」(原題「花とひみつ」)が第22回ベネチア国際児童映画祭・銀賞を受賞。
- 1971/昭和46年(44歳)
- 既刊本の文庫化はじまる。この年に、角川文庫『人民は弱し 官吏は強し』『きまぐれ星のメモ』、新潮文庫『ボッコちゃん』、講談社文庫『エヌ氏の遊園地』刊行。
「ゆきとどいた生活」がノルウェーの世界SFアンソロジーに収録、「タバコ」がルーマニアの雑誌に掲載される。
- 1972/昭和47年(45歳)
- 日本で文庫ブームはじまる。この年に、角川文庫『きまぐれロボット』『ちぐはぐな部品』、新潮文庫『ようこそ地球さん』、講談社文庫『ノックの音が』刊行。単行本であまり売れなかったものも、文庫になり売れゆきがよくなる。新刊は4点刊行。
- 1973/昭和48年(46歳)
- この年の新刊2点、文庫10点。以後も、新刊の刊行と並行して文庫化がすすむ。
- 1974/昭和49年(47歳)
- 『祖父・小金井良精の記』(河出書房新社)刊行。
新潮社《星新一の作品集》全18巻の刊行はじまる。
西ドイツで「白い服の男」がドラマ化され放送。
- 1975/昭和50年(48歳)
- 父の少年期青年期を書いた『明治・父・アメリカ』(筑摩書房)刊行。
- 1976/昭和51年(49歳)
- 日本SF作家クラブ初代会長に就任。(これ以前は事務局長のみだった)
- 1978/昭和53年(51歳)
- ジャパンタイムス社より英訳短編集『The Spiteful Planet』刊行。
- 1979/昭和54年(52歳)
- 星新一ショートショートコンテストの選考はじまる。
- 1983/昭和58年(56歳)
- ショートショート1001編達成。
- 1985/昭和60年(58歳)
- ショートショートコンテストの受賞作品を収録した講談社『ショートショートの広場』の文庫化はじまる。(1998年までに9巻を刊行)
- 1991/平成3年(64歳)
- 最後の新作となった『夜明けあと』(新潮社)刊行。明治の新聞記事の要約集。
母・精永眠(95歳)。
- 1992/平成4年(65歳)
- 初孫誕生。(孫は1994年までに3人に)
- 1993/平成5年(66歳)
- 長年住んだ戸越銀座から高輪へ転居。
- 1996/平成8年(69歳)
- 癌闘病後、肺炎で入院。
- 1997/平成9年(70歳)
- 12月30日、高輪の病院にて永眠(71歳)。
- 1998/平成10年
- 1月14日 青山葬儀所で告別式。
生涯にわたる功績に対して日本SF大賞特別賞を受賞。
新潮社より『星新一ショートショート1001』全3巻刊行。(この時点で判明していたショートショート全作品を収録)
- 1999/平成11年
- 小松左京氏のよびかけで、9月6日が「ホシヅルの日」に制定され、9月11日に公開イベントが開催された。
文責・星マリナ
1975年までの自筆年譜は、角川書店『
ほしのはじまり 決定版星新一ショートショート』(新井素子・編)に収録されています。
1976年から1980年までを追記した自筆年譜は、1980年に新評社『星新一の世界』に掲載されました。
その年譜に1998年までの情報を加筆したものが、新潮社『
星新一ショートショート』第3巻に収録されています。
星新一の子供時代については、新潮社電子書籍『祖父・小金井良精の記』の「私の少年期」にくわしく書かれています。
新潮文庫『
星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相葉月・著)の巻末には、最相葉月さん作成の詳細な年譜が収録されています。